潰瘍性大腸炎を発症したときの話①
どうも。さつきです。
久しぶりの投稿になってしまいました。このところ引っ越し準備に追われていて、それはもうバタバタでした。実は、大学に入るときに一人暮らしを始めてから今までの6年間、1度も引っ越しをしたことが無かったのですが、引っ越しってこんなにやることいっぱいあるんですね・・・!
もう大変で大変でびっくりです。
この度、人生ではじめて海を渡る大きな引っ越しをするにあたり、
「今までの人生で、一番大変だったことは何だっただろう・・・?」
とぼんやり考えたのですが、まっさきに
「どう考えてもこれだな」
と思い浮かぶものがあったので、今日はそのお話をしてみようと思います。
タイトルにもある通りですが、私は
という病気を持っています。
【潰瘍性大腸炎とは?】
・大腸粘膜を侵し、びらんや潰瘍を形成する疾患である。
・10代後半~30代前半に好発する。
・直腸に始まり、口側に向かって連続して広がる。
・慢性的な炎症持続例や、長期の罹患歴がある例、直腸に炎症がとどまる以外の例では大腸がんになることがある。
・日本では近年患者数が増加しており、2014年で17万人にのぼる。
・軽傷では、下痢・粘血便が繰り返し見られる。
・重症例では、血性下痢、腹痛、発熱なども見られる。
・炎症の長期化により、栄養状態が低下し、体重減少や貧血などもみられる。
引用文献;『レビューブック管理栄養士2019』岡庭 豊
という病気です。
私は中学3年生の秋ごろに発症しました。高校受験の数か月前のことでした。その時お医者さんに言われた内容は、当時の私には衝撃的なものでした。
「この病気は、一生治りません。」
発症したときは、毎日信じられないような腹痛と戦い、トイレをするだけで涙が出るほど痛く、食も進みませんでした。出そうとしても出ないし、何度もトイレに行かなきゃいけないし、便器は血だらけで見ると怖いし、体重もどんどん落ちていき、自分の見た目が大嫌いになりました。
だから余計に、「一生治らない」という言葉に目の前が真っ暗になる感覚がしたのを今でもよく覚えています。
その日から、給食がみんなと食べられなくなりました。給食の時間になると、逃げるように保健室へ行き、母の作ったおかゆと、ゼリー状の栄養補助食品を食べ、給食時間が終わるのを待っていました。
家でも私だけは別メニュー。
すごく寂しくて、食事が全然楽しくありませんでした。むしろ苦痛で仕方なかった・・・
出血がひどく、貧血になっていたので週に2回は病院に行き、鉄剤を打ってもらっていました。通院がある日は学校を早退して病院に行きます。みんなと学校終わりに楽しく下校することも減りました。
腹痛と戦いながら、腹痛が弱くなる合間を縫って受験勉強をしました。トイレにこもる時間が長いから、トイレの中に暗記ものの一覧表を作って、少しの時間も無駄にしないようにしました。
病気でも関係ない、私は頑張れる!と躍起になっていました。
それでも、他人とは容赦がないもので、知識のない人たちから、
「暴飲暴食したんだな~?(笑)」
と自己管理不足であるかのようなことを言われたり、
「腹痛?そのくらい誰でもあるじゃん」
と大したことじゃないという扱いをしてくる人もいました。
(後に知ることになりますが、この病気ではあるあるな話のようです(-_-;))
学校の一部のクラスメイトからは、通院で学校を頻繁に早退する私に
「さぼりじゃん、仮病だろ」
と言ってくる子たちもいました。
またタイミングの悪いことにこの時は人生で初めての受験生で、自分のが成績より少し上のランクの高校を目指していたこともあり、親からは「本当に受かれるの?」と日々心配されていました。
精神状態は、限りなくボロボロだったのを覚えています。
好きで病気になったわけじゃないのに、なんでこんなこと言われなきゃいけないの?なんでこんなに苦しいの?病気だと、受かれないのかな?がんになるのかな?普通に生きていけなくなるのかな?
だって「治らない」んだもんね・・・
と、日々落ち込んでました。
今だから思えますが、この病気に限らず自分がもつ苦しさを他人に理解してもらうというのはとんでもなく難しいことです。だからこそ、自分も相手も、双方が理解し合おうと寄り添い合うには努力が必要不可欠です。
でも、まだそれがわからなかった中学3年の私には相手に理解してもらおうという努力の仕方もわからず、うまく伝えられず、自分の気持ちの整理もつかず、日々傷ついては泣いてを繰り返しておりそれはそれは苦しい時期でした・・・。
それでもなんとか持ち直して、
「どんなに傷つくことを言われても、諦めたくない。病気でも、私は私。やりたいことはやりたいんだ!」
と、苦しかったこともばねにして、なかば意地で受験も無事合格し、あこがれの高校生活を勝ち取りました。私の高校生活は本当に毎日が楽しくて、私の人生のなかでも本当にいい思い出になっています。
意地で無理やり頑張ることが、いつも必ずしも良いとは思いませんが、あの時は頑張ってよかったと心から思っています。
(社会人になってからも意地で頑張ろうとして、失敗した。というお話もあるのですが、それはまた別の回で。笑)
この時の苦しい体験があるから、今の私があるし、
この経験があったから、人と分かり合うためにはどうしたらよいか、自分を守るためにはどうしたらよいかを考えていけるようになりました。
まだまだ「もっと違う伝え方ができたな」と反省することも多いですが、あの時の経験を思い出し、日々工夫する努力をしているつもりです。
あの苦しすぎる状況の中、いったいどうやって持ち直したのか?
それはまた次の記事でお話ししようと思います。
私と同じ病気で苦しんでいる人や、この病気に限らず日々頑張って生きている人にとってこの記事が少しでもお役に立てればいいなと思います。
みんな、頑張って生きててえらい!!!!